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ヴィシソワーズ。

95年の夏。
かなり進行したガンが見つかって
父が入院した。

すっかり食欲が落ちてしまった父のために、
外泊許可がでて家に帰ってきたある週末、
冷たいジャガイモのスープをつくった。
父は初めて飲むそのスープを
「おいしい」と言って飲んでくれた。

しかし父は
9月の声を聞くとすぐに
天国へいってしまった。

それからというもの
大好きなはずの
ヴィシソワーズを作ることができずにいる。

父の匂い。

むかし、父の日のプレゼントにと
ソニープラザで見つけた
薄毛専用のブラシを贈ったことがある。

これはいいと自信を持って選んだブラシだったが、
父は苦笑いしながら受け取ってくれた。
あとで母に聞いたところによると
父は内心ちょっぴりショックだったらしい。
そのせいかブラシはほとんど使われていないようすだった。

父が亡くなって一ヶ月くらい過ぎた頃。
ふと、父の匂いのするものが何もなくなっていることに気づいた。
タオルにも、枕にも、
ずっと入院していたから洋服にもすでに父の匂いはみつからない。
ふと目に入ったくだんの薄毛用のブラシ。
そっと手にとってみると、ああ、父の匂いがした。

使ってくれていたんだ。

うれしくて寂しくて涙が出た。

グレープフルーツ。

教科書で梶井基次郎の「檸檬」を読んだとき
ふと思い出した光景がある。

それは妹が生まれたときのこと。

父と産院へ向かう途中に通った坂のふもとには
果物店があった。

12月、もうすっかり日が暮れて暗い中
店頭に並べられたみたこともない黄色い球体が
電球に照らされて光り輝いていた。
それは初めて目にする
グレープフルーツという名の果物。

吸い寄せられるようにして父はそれを買った。
まだ日本に輸入され始めたばかりで、
決して安くはなかったはずだ。

母の病室へ入ると
そこには生まれたばかりのちいさなちいさな妹。
幼かったワタシの記憶はそこまで。

後で聞いたら
母に届けたグレープフルーツは
結局うまくむくことができず
掃除のおばさんにあげてしまったという。
半分に切ってひとふさずつ切り込みをいれて
専用のスプーンで食べることは知らなかった。

今ではきれいにむけるようになった。
何もかけずそのまま食べるのが一番おいしいと思う。

モンブラン。

9才くらいのとき。
母の誕生日にプレゼントしようと
なけなしのおこづかいをにぎりしめて
坂の途中にあるケーキ屋さんへ走った。

〜モンブランをひとつください。〜

箱にお入れしますか?とたずねられて
「プレゼントなので、お願いします」と
小さな声で真っ赤になりながら答えると
箱代を取られた。

ケーキが崩れないように
帰り道はそーっとそーっとあるいた。

渡すと母は驚いて、もったいながって
うれしそうに食べてくれた。
ちょっと照れくさかった。

台車。

父は印刷会社に勤務していた。

時々日曜に会社へ何かの用事を足しに行く時、
一緒に連れて行ってもらったことがある。
父は営業部だった。
休日の誰もいない工場は静まり返り
インクの匂いが鼻をついた。
流しのゴミ箱に残されている
タバコの吸殻とお茶ガラの匂いが混ざったものも気になった。

工場には
重い紙を運ぶための大きな台車がある。
その台車に乗って押したり押されたりして遊ぶのが
ものすごく楽しかった。
その頃、台車はあくまで業務用のものだったから、
今みたいに個人で持っている人はほとんどいなかったはず。
こんな面白い遊具は他にない。

いつもはたくさんの人がいて
機械の大きな音が響いているはずの工場は
ワタシの声に聞き耳を立てているみたいだった。
大きな台車を見ると
そのときの静かな工場の
しんとした空気を思い出す。

成人の日といえば。

あまりいい思い出はない。

その1年前に父が倒れたので
晴れ着は当然無理だと思っていたし、欲しいとも思わなかった。
本当は着てみたかったのかもしれないが。
それでも母が買ってくれたスーツを着て、
雪の積もった道を市の体育館へ行き、
誰だったかエラい人の話を聞いたような気もするけれど
何も覚えていない。

その後晴れ着を着た友人と一緒に写真館へ行って
それぞれ記念撮影をした。
当日バタバタと撮った写真はなんだか成人の記念には見えなくて、
その後開いてもいない。
いったい今どこにあるのだろう。捨ててはいないはずだ。
今思うとお金を出してくれた両親に悪いことをしたと思う。
せっかく祝ってくれたのに。ごめんなさい。

さらにその夜、中学の同級会があった。
5年ぶりに会うクラスメイトと担任。
みんなそれぞれに目標を持って勉強していたり、就職していたり。
そのころワタシには明確な目標がなかったから、
焦りを感じたし、みんなが眩しく見えた。

そういえばその1年後、美容院の写真撮影のアルバイトで
日本髪を結い、着物を着て撮影したなんてこともあった。

それからいろいろなことがあったけれど、
2度目の成人式も過ぎ、親の気持ちもすこしずつわかるようになり、
あのころの自分を恥ずかしく思うワタシが今ここにいる。

成人を迎えたみなさん、おめでとうございます。
成人式はゴールではなくてスタートです。
やっとスタートを切ったことに気づいてください。
そして素敵な大人になってください。
ワタシもがんばります。

大晦日。

大晦日には母の買い出しについてゆくのが好きだった。
市場は普段にも増して活気にあふれ、人が多くにぎわっている。
正月用の花、塩鮭、和菓子、最後に生そばを買う。
母とはぐれないよう小走りになりながら、
その雑踏を歩くと大晦日なのだとしみじみ実感できるのだった。

そのころはまだ個包装のお餅がなかったので、
年末になるとお餅屋さんに頼んだのし餅が届けられた。
それを切り分けるのは父の役目と決まっている。
こどもたちは待ちきれず、せめて端っこの細く余った部分をもらって
焼いて食べるのが大好きだった。

それから父は毎年お正月のためにゲームを買ってくれた。
みんなで遊べる大判のボードゲームをひとつ。
それでお正月や冬の間、みんなで遊ぶのだ。
みんなが大きくなってくると、「ドンジャラ」。
そしてマージャンも教わった。父の忍耐強さには感心する。
あんな複雑なゲームをこどもたち全員に仕込むなんて、
よく嫌にならなかったと思う。
ただ点数計算ができるのは父だけだったので、父が亡くなった後は
家族マージャンもしなくなってしまった。

大晦日の夜には、みんなで軽いオードブルを食べながら
わいわい見ていた紅白歌合戦が終わり、
「ゆく年くる年」をBGMに母の茹でてくれた年越しそばを食べる。
夜更かしすることを許される唯一の日。
そんな年越しが懐かしい。

おやつの盛り合わせ。

子供の頃のおやつはいつも「盛り合わせ」だった。
家に帰ると、母が用意してくれているのは
お皿にいろんな種類のお菓子を数個ずつ載せたもの。
ポッキー5本、イチゴのキャンディー2個、おせんべい1個、という具合。
手作りのドーナツや、パウンドケーキがのっていることも。

でもワタシたちきょうだいの夢は
『ポッキーを一箱、ひとりで食べてみたい!』だったのだ。
実際、弟がお友達のお誕生会で
「ひとり一箱ずつポッキーをもらったんだよ!」と、
大感激して帰ってきたことがあったほど。

ところがずっと後になってから、
当時よく家へ遊びに来ていたひとりっ子の親友が言った。
「あのおやつの盛り合わせ、すごくうらやましかった!」
ひとりっ子だから、ポッキー一箱もらうことはあっても、
逆にこういう経験ができなかったのだ。
考えてみたら、一度にいろんな種類を食べられるなんて
ステキなおやつタイムだ。

サンタの秘密。

毎年、11月の終わりになると、
クリスマスに欲しいものを手紙に書く。
それを母に渡してサンタに送ってもらう。

そして12月。第二か第三週日曜日になると、父と母が出かける。
末っ子は赤ちゃんなので連れていくが、他のこどもたちはお留守番だ。
その頃住んでいた家は市の中心部から結構離れていたのに、
今考えるとよくこども3人置いてでかけたものだ。
おそらく3時間以上は留守番していたと思う。
しかし両親には、みんなを連れていけない理由があるのだ。
長女のワタシは気付いていた。
父と母が帰りに持っている大きなバッグの中身は、
みんなのクリスマスプレゼントだということを。
それでもクリスマスの朝に目が覚めると、
枕元に希望のプレゼントが置かれているのはとても嬉しかったし、
幸せな気分だった。

サンタの秘密は、結局誰にも言わないままだ。

幸せの記憶。

物ゴコロついてから、
父にべたべたと甘えたりした記憶はあまりないのだけれど、
それでも小学生の頃は、日曜日の朝、
寝坊してのんびりテレビを見ている父の布団に潜り込むのが
お気に入りだった。
ぴったりくっついて父の匂いを感じながら、
一緒に「題名のない音楽会」なんかを見ながら過ごす時間。
小さい頃、朝になってもあまり布団が温まらないワタシは、
母に「生きてるのか心配しちゃうわ」とよく言われたものだ。
父の布団の温もりに包まれ、安心して二度寝するしあわせ。
実家で迎える日曜日の朝には
ふと思い出してしまう。
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