父が突然、体調に異変を訴えた。
高校3年生の3月。それは受験の日の朝のことだった。
母に促されて受験したけれど、その日のことは何も覚えていない。
帰宅してから急いで病院へ向かった。
急きょ入院した父の病名は脳血栓。父は当時49歳。
まだ末の弟は小さく、ワタシたちは不安に駆られた。
母だけが病院に泊まりこむことになり、ワタシたち きょうだい4人は家に戻った。
その晩は眠れなかった。ひたすら父の回復を願って祈った。
次の日 病院へ行ってみると、薬が効いて、父の病状は好転していた。
母は数日間、付き添うことになったと言った。
ほっと一安心して家に戻ってきたものの、みんなの食事を作らなければならない。
でも、何をどうすれば・・・
すると その時 ドアチャイムが鳴った。
玄関に出てみると、母の親しい友人、伊藤さんだった。
笑顔で包みを差し出して、
「びっくりしたでしょう?大変だったわね。
はい、これ。あとは揚げるだけだから。
それからこれ、千切りキャベツね。
それじゃ、おかあさんによろしくね」
と 言い残して、伊藤さんは風のように行ってしまった。
手渡されたのは、パン粉がついて揚げればすぐ食べられる状態のヒレカツと
ポリ袋に入った千切りキャベツ。
それまで母の手伝いはしていても、まったくと言っていいほど料理を作ることはしていなかったので、
実は食事をどうするか途方に暮れていたのだ。
近くに親戚もなく、頼る人はいない。そんな時、さっとやってきて、
必要最小限のことだけ言って帰っていく伊藤さんの心遣いに、
嬉しくて涙が出そうだった。
そしてそういう友人を持つ母が誇らしく、うらやましいと思った。
その夜のヒレカツは格別の味だった。弟はごはんを何杯もおかわりした。
翌日、母にそのことを話すと、
「伊藤さんは、そういう人なのよ」と微笑んだ。
その後、2週間ほどで父は退院できた。
しかしワタシは これですっかり料理好きに。。。とは ならなかった。
この時から料理を始めていれば、もっと上達していたかもしれない。
必要に迫られないと手をつけないのは、昔からのクセだろうか。
将来困らないように、ムスメには今のうちに料理を仕込んでおかなければ、と思う。