春も夏も秋も冬も
あなたをずっとおもっている
笑いながらあるいていこう
Beatlesも
プリンスも
彼らはなにも悪くない
嫌いになったのには
個人的な理由があります
(あらためて今聴くと
プリンスはかなりいいじゃない?)
音楽は聴いた時の記憶と
強く強く結びついてしまうから
引き剥がすのにとても時間がかかる
マニキュア落とすみたいに
記憶をひっぺがす除光液があればいいのに。
赤い靴が好きだったの
ベルト付きのエナメルの靴
よそゆき用のおしゃれな靴
学校へはけっして履いていかない(砂ぼこりでかがやきがくもってしまうから)
特に赤い靴が
大好きだった
あるとき読んだ童話の「赤い靴」
恐ろしさにふるえあがった
こんなおそろしいお話は初めて読んだ
夢に出てくるくらい怖かった
だけど
おはなしは
おはなし
今でも赤い靴が好き
今でも赤いワンピースが好き
おばあちゃんになっても
赤い靴が履けたらいいな
普通はこう言う
普通はこうする
普通はこう考える
普通はこんなことはしない
普通は
普通ってなんだろう
誰の普通が
普通なんだろう
1馬力ってどの馬のチカラなんだろう
って
誰も思わない?
あのひとの普通と
このひとの普通と
わたしの普通と
あの国やこの国の普通
性別や年代が違えば
普通は普通じゃなくなる
ココロの中には
たくさんの感情が詰まっている
いきなりぶちまけることができないくらいに
ものすごくいろいろなものが詰まっている
ぶちまけてしまったら
もう二度と戻せないから
よくよく考えて選んだものじゃないと
出すわけにはいかない
わたしが押し黙ってしまっても
何も考えてないわけじゃない
イヤフォーンを耳につけたままで歩いていると、
どんなノイズも効果音みたいに思えてくる。
景色をアウトサイドから眺める不思議な感覚。
いつも見ている近所の風景も道路工事も
いちゃつくカップルも ゆっくりゆっくり歩く老夫婦も
散歩中の犬も窓から通りを眺めている猫も
電線の上のカラスも。
このひとは今何を思っているんだろう。
このひとは今何に悩んでいるんだろう。
このひとは今誰のことを愛していて
誰のことを憎んでいたりするんだろう。
自分の中で自分の感情に溺れてしまうと
見えなくなることがたくさんある。
映画の目線で自分を眺めてみよう。
他人事だと思えば案外タイシタコトないじゃないか、なんてね。
すっきりとした道筋が見えてきたりする。
説明しすぎなくてもわかることがある。
映画の主人公の気分が味わえる。
他人事なら冷静に状況を見極められる。
全てが映画の中のできごとになる。
自分を見るもう一人の自分。
もしもあのとき
そこへ行かなかったなら
と思うことがある
それも自分が選んで決めたこと
人生は選択の連続でできている
あの角を曲がる
いつもと違う道を行く
ただそれだけで
シチュエーションがふわりと変わる
見なかったかもしれないこと
見ないで終わってしまったこと
自分の前で起こったことだけが
この世に存在するのではないのだから
選ぶのが怖くても
ここにじっと立ち尽くすわけにはいかない
人生は選択の連続でできている
今年は公私ともに
わりと激動の年だったように思うのだけれど
今となっては
「雨降って地固まる」かなあ。
時間とともに自分も周りも
少しずつ少しずつ変化していく。
自分と人の関わりかたの違いが
くっきりとしてきた気がする。
それがダメだとは思わない。
同じようにできないとしても
それが自分だから。
そんなふうに思う年の暮れ。