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peafowls in the park



実家の目の前にあった公園には 孔雀が数羽飼育されていた。今から40年も前の話だ。抜けた雄の羽根が欲しかったけれど 実際にもらったことはなかった。扇子を畳んだような姿が美しく それにくらべて雌の色合いの地味なことよ。孔雀の鳴き声はちっともかわいいものではなく どちらかというと奇声に近い。毎日のように遊びに行く近所の公園に 動物園へ行かなければ見られないような鳥がいるという不思議で貴重な体験は 今となっては夢だったような気がしてくる。夜眠るとき 孔雀の声が聞こえてくると 彼らがあのケージからでて夜の道路を歩いている光景を想像してみたりした。あの孔雀たちはどうなったのだろうか。寿命か病気ですべて死んでしまったからあの公園が潰されて駐車場になったのか それとも駐車場拡張のためにどこかへ譲られていったのかはわからない。


怖いもの。



わたしは閉所恐怖症だ。キャンプの際 テントの入口のファスナーを閉めたとたんにソワソワと落ち着かなくなり ものの数分で外へ出てしまうくらいだ。そして山も苦手だ。たいして高くない里山であっても 日が暮れてから山にいるのは恐怖だ。山麓にいるだけでも不安になる。きっと前世は生き埋めにされ非業の死を遂げたに違いない。だから高所恐怖症の人が腰を抜かしてしまう気持ちはわかる。いっぽうムスメは薬が苦手だ。特に錠剤を飲まない。いや 正しく言うなら飲めない。だから痛みどめや酔い止めをいっさい服用しない。飲みこもうとすると緊張でふるえ まったく喉を通っていかない。おそらく前世、服毒自殺を強要されて死んだのであろう。小学生の頃 なんとか薬を飲ませるために3時間くらい奮闘して結局飲みこめず 無残な薬の残がいをいくつも生み出しただけだった。以後はもうほとんど医者へ行かず もし行っても薬を処方してもらうこともやめ「自然治癒力が一番!」と自ら豪語。たまたま大病もせずにここまで来ることができた。それでも 今回はどうしてもつらかったらしく自分で痛み止めを飲むと決め ふるえたりじたばたしたりしていたが10分ほどかかってついに飲みこんだ。それも食べ物といっしょに(赤ちゃんみたい・笑)励ましつつじっと見守るのはかなりの忍耐が必要だったけれど ついに薬を飲みこむことのできたムスメを大げさに褒めたたえたのであった。


Point of no return



その年の12月8日
友だちが切羽詰まった声で電話してきた。
「ジョンが死んだ」
彼女はジョンのファンだった。

当時 ジョンの良さがよくわかっていなかった。
甘い声ときれいなメロディーラインのポール・マッカートニーのほうが
どちらかといえば好きだったから。

もっとおとなになってから、ジョンの曲や詩の深さがわかったのだった。
撃たれた時 彼がまだ40才の若さだったということを知り あらためて驚く。

気づけばずいぶん遠いところまできてしまった。




ハツコイ。



おなじ班の子たちと、好きな子だれ?という
『よくある話題』でおしゃべり。
じゃあ自分も言うから教えて?と教え合いっこ。
「わたし、Sくん」「えーっ!おれ、Tだよ」と
両想いだったことが判明。
みんな大盛り上がり。

思いを伝えあって、ただただニコニコして、
それだけでうれしかった。

中学生のとき。
部活のあこがれの先輩に彼女がいると知って
ショックを受けたり
クラスの人気者のMくんをひそかに想っていたけど
結局告白することなく終わった3年間。

その人を想って、見かけるだけでドキドキして
それだけでうれしかった。

高校生のとき。
自分の気持ちを知ってほしくて、そして相手にも好かれたくて、
はじめて告白した。
はじめてつきあった。
相手のことが知りたくて、
こんな風に笑うんだ、とか
こんな表情するんだ、とか
気づくたびにタカラモノが増えていく。

お互いがお互いにとって特別であること。
それがうれしかった。

そんなことをつらつらと
「あまちゃん」を見ながらふと思い出した、
五月晴れの水曜日。

喫茶店。

高校生の頃、一学年上のボーイフレンドと付き合っていた。
学校が違ったので、放課後待ち合わせをしてデートをした。
その頃はまだマクドナルドもファミレスもなかったから、喫茶店に入ることが多かった。
スパゲティを食べたり、フルーツジュースも好きだった。特にバナナジュースには目がなかった。
コーヒーは苦手だったけれど、コーヒーゼリーは大好きだった。
パフェはあまり食べなかった。背伸びしていたのかもしれない。
その後彼は一足先に高校を卒業して東京へ進学し、別れてしまった。よく行っていた喫茶店も閉店した。
それからマクドナルドができ、ファミレスができ、さらにドトールやスターバックスやタリーズができて、
いわゆる「喫茶店」の数は少なくなってしまった。
今、カフェの喧騒の中にいると、誰もがくつろげる空間であることはもちろんすてきだ。
でも、高校生が騒げない雰囲気の喫茶店で垣間見た大人の世界では貴重な体験をさせてもらったと思う。
重厚な生地の椅子、その白いカバー、丁寧な接客や、低く流れるクラシック音楽。
「お子様お断り」と張り紙の貼ってあるコーヒー専門店。
カジュアルになりすぎない適度の「よそゆき感」が、
結局はお互いの居心地のために必要なのだということを学んだ。







JUGEMテーマ:エッセイ

おばあちゃんのソファー。

通勤途上、いつも右折する角の家には土間があって
そこには擦り切れた古い一人掛けのソファーが置いてあった。

デイサービスに出かける準備をしたおばあちゃんが
お嫁さんに支度を手伝ってもらいながら
お迎えのバスを待ってソファーに座っている姿をよく見かけた。
週に二回ほどだけれど
その光景を見るのが好きだった。
今思えば
亡き母を重ねていたのかもしれない。

昨年から10ヶ月仕事を休職している。
通勤しないから
その道は当然通らない。
先日、オットの車でその道を通ったら

あのソファーが
もう
なかった。

名前も知らず、話したこともないおばあちゃん。
どうしているだろうか。







JUGEMテーマ:エッセイ


匂い。

匂いというのは、すごい。
我が家のネコたちは まず匂いで存在を主張し、警戒し、
テリトリーを守る。
たいていの日本人は入浴して体臭のもとを洗い流し、
さっぱりすることを好むのではないかと思うけれど、
欧米人は
「そんなに一生懸命身体を洗ったら体臭がとれちゃうじゃない」と
思っているらしいと聞いたことがある。
体臭を落とすために入浴するのに、その疑問は、どういうこと?
お国柄というかなんというか 不思議なものだ。

料理もできあがる前に漂ってくる匂いが食欲をそそる。
焼き肉屋や 焼き鳥屋の前を通れば
思わず食べたくなるし
カレーを作った日には
仕事から帰ってきた家族が口を揃えて
「はやく食べたーい!」
の大合唱。

同じ香水を身にまとっていても
体臭と混ざり合って
誰のものでもないすてきな香りになる人もいる。
香りの記憶は
聴覚や視覚の記憶よりも
ずっとずっと根深くのこっていて
ふとしたときに
過去へと引き戻される。

匂いは、やっぱりすごい。




JUGEMテーマ:エッセイ


孤独なココロ。

ずっと前から
ミヒャエル・ゾーヴァの絵が好きだ。
王様や、ウサギの王子エスター・ハーシーなど
いろんなものがある中で
特に好きな一枚がある。
カモメが たったひとり、
夜更けの浜辺でストライプの柄のガウンを着て
焚き火にあたっている。
これから泳ぐつもりなのか
泳ぎ着いたあとなのか
絵からはしんと冷え切った孤独さが伝わってくる。
けれど、カモメはあまり つらそうには見えない。
むしろ ほっとしているかのようだ。
このポストカードを見るたび、自分をカモメに重ねてしまう。

ゾーヴァの絵はユーモラスなのに、どれも根底に必ず孤独さが流れていると思う。
そしてそこが好きな理由だ。

孤独で
ひとりが好きで
でも誰かいてくれないとさびしい。

わがままな自分。


JUGEMテーマ:エッセイ


西堀 寺町。

090813_1807~02.jpg
ここ新潟市でお盆やお彼岸になるとかならず
地元テレビのニュースで伝えられる
有名な寺町である西堀。

西堀寺町へのお墓参りは
県外ルーツの自分にとって実はちょっとした憧れだった。
結婚したら
オットの母方の家の墓が
西堀のお寺にあることが判明。
それでついに憧れの
西堀寺町同盟(笑)への仲間入りを果たしたのだった。

宗教観は人それぞれ。
それにしてもあまりにも知らなすぎたので
いろいろな風習や慣習を
今になってオットを質問責めにして学び直しているところ。
今までお墓や仏壇について、その役割や意味がよくわかっていなかったことに気づかされる。

お墓参り、自分にとってはイベント的な意味合いではあるけれど
とにかく毎年お盆には西堀へ赴くようになった。

わがままで、すみません。

考えてみれば、予約、つまり「あらかじめ約束する」というのは
実に優れたシステムだ。
予約する側は待たせられることもないし、
予約される側は先々の予定が立てやすい。
双方にとって大変都合のいいことである。

しかし。

思い立ったが吉日!タイプの自分に、この予約システムは
あまりいいものではない。
もともと思いつきで行動するタイプであることと、
さらには家族を持ってからというもの、自分の都合よりも
家族の都合を優先して動かざるを得ないことも一理ある。
とにかく、予約が苦手。
なんとか予約したものの、その日に本当にその場所へ行けるかどうか、
自分でも確証が持てなかったりする。
手帳とWEBカレンダーでスケジュール管理していてもそうなのだ。

髪をすこしカットしたい!と思ったらすぐに切ってもらいたい。
ネイルの手入れがしたい!と思ったらすぐにでもやってほしい。
疲れたのでマッサージにかかりたい!と思ったら・・・
・・・あげたらきりがない。これは単なるわがままだ。

王様みたいに「今日はこれをやりたい!」と言えば
すぐ飛び込みでやってもらえたらこんなにうれしいことはないのに。
そんなの、みんな、そうにきまってるかな。

ダメもとでお店に電話してみて、すぐはできないという返事だったら、
そこで諦めてしまう。
予約して、改めて出なおす、ということができない。
だって予定は未定なんだもん。

だけど たまたまちょうどやってもらえるときのうれしさと言ったら!
もしかしたら、このためにチャレンジを続けているのかもしれない。



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